創刊105周年特集 原点を胸に、言葉を刻む
本紙は10月15日に創刊105周年を迎えた。大正、昭和、平成、そして令和へ―。創刊以来、4つの時代を走り抜けた歴代の学生記者は「学園の連絡一体化」を担うとともに、「学生による学生のため」の新聞づくりに情熱を注いできた。この節目にあたり、夏期総合研修は学祖・山田顕義の生誕地である山口県萩市を訪れた。幕末の動乱を経て近代日本の礎を築いた学祖の熱量と「自主創造」の原点がそこに息づいていた。今特集では学祖の生誕地を巡るルポをはじめ、105年の歩みを振り返る年表、特集面が作られる舞台裏を紹介する。
日本大学新聞
1921(大正10)年10月15日に創刊され、大学新聞として慶應大学の三田新聞(現在休刊)、東京大学新聞に次ぐ3番目に古い歴史を持つ。本学で唯一公認の大学新聞で、「学園の連絡一体化」を第一の目的としている。また、創刊以来の「学生による、学生のための新聞」という視座も変わっていない。
本紙では、大学本部の改善・改革や重要事案、スポーツ、学部・学内の行事や学生・教員の最先端の研究成果などを網羅的に取材。取材対象は都内をはじめ、福島(郡山)や静岡(三島)など各キャンパスがある16学部のほか、競技スポーツや全国各地の付属校など多岐にわたる。
一方で、今を生きる学生にとって「新聞」は遠い存在であり、本紙の認知度も決して高くない。そこで毎月1回(2月を除く)発行する紙面に加え、「日本大学新聞ONLINE」には紙面に載せきれなかった記事も掲載。また、SNSでは取材したスポーツの結果速報や発行紙面のPRなど広く発信し、認知度向上を図っている。これからも学生に読まれるメディアの機能を強化し、言葉を刻み続けていく。


ルポ 学祖の原点と足跡辿った3日間
萩市で夏期総合研修
本紙創刊105周年の節目となる今年。夏期総合研修は例年の軽井沢から場所を移し、学祖・山田顕義の生誕地である山口県萩市で行われた。新入生を含めた総勢27人は、史跡巡りや講義を通して学祖の原点と足跡に向き合った。
新幹線とバスを乗り継ぎ約5時間。萩市内の宿泊施設は目の前に菊ケ浜の海が広がり、萩のランドマーク・指月山を望む。潮風を受けながら一眼レフを構え、学祖の原点を巡る旅が始まった。
2日目は市内を散策。白壁の小路を抜けると、世界遺産「萩城下町」の中に萩博物館が現れた。幕末当時の品々を前にすると、志士たちの熱気に満ちた息吹が伝わってくる。自然の地形を生かした町づくりの変遷もとても興味深い。
昼食は萩の特産である夏ミカンのちらしずし。爽やかな香りに包まれた午後は、萩・明倫学舎へ。旧藩校の跡に立つ木造校舎は90年におよぶ星霜を重ねている。
2号館の世界遺産ビジターセンターでは、吉田松陰による工学教育の先駆的な役割を知った。また、同館の幕末ミュージアムには、顕微鏡や象限儀(天体の高度や角度を測る装置)など科学技術の実物資料が並ぶ。手探りで知を切り開いた当時の技術者たちの試行錯誤に引き込まれた。
3日目は、降ったりやんだりの雨模様。顕義園では、木立の中に立つ学祖の青銅像が雨にぬれて鈍く光る。像を囲むように各学部や付属校の記念碑が並び、その中に自身が学ぶ「理工学部」の文字を見つけた。遠い長州の地に、確かに自分の居場所が刻まれている。
続いて訪れた松下村塾。小さな平屋建てで、薄暗い八畳間を外から見つめた。学祖は14歳でここに入塾したという。松陰が贈った「立志は特異をたっとぶ」の言葉。のちに欧米の近代法を学び、新時代を切り開いた学祖。本学の「自主創造」の源流は、雨にかすむこの狭い空間から生まれた。
今回の研修で学んだのは激動の時代の中で自ら修練し、行動した先人たちの姿だ。松下村塾に集った若者たちは、新たな時代を見据え、「自分は何をすべきか」をもがき悩んだことだろう。本紙も学生が自ら足を運び、見て、聞いて、自分たちにしかできない新聞を目指している。萩で体感した維新胎動の熱を、105年目の紙面に刻んでいく。 (宮野翔大)








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