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特集・企画

日大新聞で振り返る100年<第1部 本学と日本の歩み>   <6>「日大再生」

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 日大紛争から約50年。本学は2019年に創立130周年を迎え、在籍する学生数は約7万4千人に上る。巨大大学としての歴史を刻む中で起きた前代未聞の不祥事は、本紙の在り方を問い直した。

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本学は順調に規模を拡大し、1989(平成元)年には大学として1世紀の歴史を刻んだ。2021(令和3)年10月15日には本紙も創刊100周年を迎え、ともに2世紀目の歩みを着実に進んでいくはずだった。そこにかつてない激震が走る。

同年9月8日、東京地検特捜部が東京・市ケ谷にある本学本部や事業部などに対し、一斉家宅捜索を実施した。本学医学部付属板橋病院に絡む大学資金の違法な流出に関するもので、それに関与した井ノ口忠男元理事と医療法人「錦秀会」前理事長の藪本雅巳氏がそれぞれ背任容疑で逮捕、起訴された。さらに同年11月29日には田中英寿元理事長も所得税法違反(脱税)で逮捕。現職理事長の逮捕は本学130年の歴史の中で前代未聞の事件。いわば「日大の非常事態」だった。

本紙は22(令和4)年1月20日付け第1418号の1面で「新生日大へ不退転の一歩」という見出しを掲げ、一連の事件を取り上げた。2面には学生記者が複数のキャンパスで取材した学生の生の声を紹介。大学の悪いイメージを払拭できるのかという疑問の声や、金銭使途の詳細を説明してほしいとの意見が語られている。

しかしその一方で「逮捕されたのは知っているが、興味がない」「そもそも知らない」といった無関心の学生がいたことも事実。マンモス大学ゆえに、愛校心の薄れた学生にとって大学運営を担う理事の存在はあまりにも遠すぎたのだ。とはいえ、学生が興味ないからと言って本紙の取材をやめる選択肢はもちろんない。なぜなら「50年前の教え」が連綿と学生記者のDNAに受け継がれていたからだ。

実感する言葉の意味

日大紛争が下火になった50年前、休刊していた本紙が復刊された。当時学生記者の山口裕久さん(73歳、1972年法卒)はあの時の想いをこう語っている。

「大学は変わろうとしている。それを伝えるのが日大新聞の使命であり、同時に見張り役にならなければいけない―」

半世紀という月日が流れたが、学生記者がやることは今も変わらない。学生が知らないからこそ、紙面で伝える。

本紙は「再生取材班」を急きょ立ち上げ、一連の不祥事に対する事実関係や逮捕された田中元理事長の全公判、事件当時の役員・関係者らを精力的に取材。2018年に起こったアメフト問題では上層部に「忖度(そんたく)」し、1行も記事にしなかったじくじたる思いを胸にペンを走らせた。

ことし7月の新体制発足(全理事・全評議員の一新)を控え、本紙では22(令和4)年4月20日付け第1421号1、2面をほぼ使い、学外の人材登用など新体制の詳報と第三者委員会報告書の要約などを掲載。さらに同年6月20日付け第1423号の1面で、本紙独占による林真理子理事長の就任直前インタビューを大きく展開した。

7月1日、新役員体制が始動して初めての会見が行われた。林理事長は、特別調査委員会の設置、N・N(ニュー日大)キャンペーン、オール日大によるサポートの三つの改革事案を発表。酒井健夫学長からは「経営や管理・運営の優先」から「教学優先」の方針転換が示され、本格的な本学の改革が始まった。

全国の日大人脈をつなぐ本紙はこれからが本当の出番ではないか。一連の不祥事は、創刊当初からの使命である「学生による学生のための新聞」の必要性を改めて思い起こさせてくれた。新しい日大に生まれ変わることを信じて、今日も私たち学生記者は報道を続ける。

※「第1部 本学と日本の歩み」は今回で終了します。

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