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特集・企画

理事2氏に聞く、これまでとこれから

田中前理事長体制時代の理事2氏から、旧体制での理事会の問題点や雰囲気、そして7月からの新体制に託す課題などを聞いた。

木村政司芸術学部長

理事会は軍隊のようだった
2017年9月から芸術学部長兼理事に就任している木村政司芸術学部長は、「理事会には一種特有の圧迫感を感じていた」と田中前理事長体制当時の様子を振り返る。
木村学部長が初めて理事会に出席したときに驚いたのは、理事長・学長の入退出時に理事全員が起立する習慣があったことだ。さらには、周りの理事から意見を言うことはやめたほうがいいと止められたことから、発言しようとは思わなくなっていった。「軍隊のようだった」と木村学部長は話す。
芸術学部は野田慶人前学部長が四期目に入ったときに、田中前理事長との関係が悪化。14年から4年間にわたり、昇進や学部をまたいだ人事異動がなくなった。それゆえ、18年の危険タックル問題で一度理事を辞任した井ノ口忠男元理事が再び理事として復帰したときも、木村学部長自身は「何かが起こっている」と感じたが、「学部や学生を守らなければ」という思いもあり、井ノ口元理事の復帰に反旗を翻せなかった。
「日大は、昔から先輩の意見には絶対服従の風潮があることは聞いていたし、特に一部のスポーツ部における上下関係を大学運営に持ち込んだことが、上命下服の風土を強めてしまったのではないか」と話す。
田中前理事長が逮捕され前体制は終わりを告げたが「理事としての管理・運営責任がありながらも、恐怖のあまり周りに流されていた自らの責任は大きい」と心境を吐露する。理事としての役割は6月末で終わるが「芸術学部長を退任するまでは、微力ながら日大の再生を支えていきたい」と語る。
新体制に対し「林真理子次期理事長は、作家として人間の心理を見抜く観察力や洞察力の鋭さが卓越した方であり、酒井健夫次期学長は、獣医学者としても素晴らしい経歴の方。今後は2人の優れた側近とのチームワークで日大再生に向かってほしい」と今後への期待を述べた。
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きむら まさし 1982年米ワシントン州立大大学院美術研究科美術学博士前期課程修了。2004年本学芸術学部教授。17年同学部学部長兼理事。22年2月常務理事。6月に常務理事辞任予定。

紅野謙介前文理学部長

日大が変われる最後の機会
一連の不祥事が起こった当時、文理学部の学部長兼理事であった紅野謙介前学部長は、「理事会は『議論する場』ではなく、理事長をはじめ、一部の理事らによって決められた議案について『異議がないかを確認する場』となっていた」と話す。質問や意見に十分な回答を得られることもなく、最終的な決定権は理事長に委ねられていた。
こうした「議論の不在」が田中専横体制に拍車をかけたが、内部だけの要因ではない。「日大は文部科学省の言うことを聞きすぎる傾向がある」と紅野前学部長は語る。迅速な判断を下すため、文科省の「トップダウン」方針に転換の結果、学生や教職員の意見が通りにくくなった。
一連の事件に対する文科省からの指導文書にも従わざるを得ず、背景には「文科省と渡り合えるだけの議論ができないため」と説明する。「役員だけでなく、各学部レベルで積極的に外部人材を入れて、開かれた議論の構築が必要」と話した。
7月からの新体制の課題について紅野前学部長は、「職員の労働環境の改善」と、「競技スポーツ部の改組」を挙げる。人件費削減で職員の採用人数を減らし、職員の負担が大きくなっていることに加え、縁故採用やスポーツ推薦での採用が行われていたため、外部の優秀な人材が採用されにくいという。さらに田中前理事長は「競技スポーツ部」の前身である「日本大学保健体育審議会」の事務局長を務め、競技部を専横的に統括していた。「競技部を自由に操ることができたことが権力集中の要因の一つだった。日大だけで運営するのでなく、外部と連携し公正な運営を目指すべき」と語る。
紅野前学部長はことし1月で学部長兼理事の任期を終えた。「今回の事件を乗り越えることは、日大が生まれ変われる最後のチャンスだと思っている。学生や教職員の意見を吸い上げるボトムアップの運営を目指してほしい」としている。
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こうの けんすけ 早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1997年本学文理学部教授。2019年文理学部長兼理事。22年1月に退任。4月に著書『職業としての大学人』を出版。

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