医学部徳沢診療所 70年伝統つなぐ
山岳部の救急医療に密着
長野県松本市の上高地。標高約1500㍍地点に山小屋がひっそりとたたずんでいる。外壁に取り付けられた木の看板には「日本大学医学部徳沢診療所」の文字。診察室に入ると登山用リュックや担架、薬を収納した引き出しが整然と置かれ、木造ならではの温かみのある空間が広がっていた。
1953年、同学部山岳部が夏の登山シーズン限定で診療所を開設。その後70年もの間、山岳部員と同部卒業生の医師がボランティアとして集まり、登山者を診療してきた。当初の拠点は、後に、井上靖の小説『氷壁』に登場する山小屋のモデルにもなった「徳澤園」だ。99年に完成した現在の建物はその隣接地に建っている。
コロナ禍の影響で2020年から学生の参加が制限されていた。しかし、ことしは4年ぶりに全日程で活動が認められ7月16日から8月20日まで開設。山岳部員15人と、20~60代の医師16人が2~7日ごとに数人ずつ滞在し、治療にあたった。その期間中、転んで骨折した登山者を救急搬送した日もあれば、患者が1人も訪れない日もあった。学生は医師を補助する役割。診療所の掃除や食事の用意、医材・薬品の保管など管理・運営の責任を担った。
徳沢診療所の代表で同部監督を20年以上務める原田智紀准教授(生体構造医学)は「学生にお客様気分でいてほしくない」と積極的な参加を促す。たとえ患者の診療に深く携わらなくても、学生が診療所の環境整備をしてきたからこそ徳沢地区の安心が守られた。
雨でぬかるむ地面を見て、原田准教授は「今日は転んでけがをした人が来るかもしれない」と呟き、再び掃除に取り掛かった。いつ、どんな患者が来るかわからない診療所。万が一に備え、共助の精神で「徳沢」の伝統は続いていく。
模擬診察中の原田准教授
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