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大垣日大高  57年間の監督生活に幕を

 ことし8月に行われた夏の甲子園に岐阜県代表として出場した大垣日大高野球部の阪口慶三監督が今年末での退任を9月29日に発表し、10月2日に同高で会見をした。
退任理由について阪口監督は「ことしに入ってから疲れが取れなくなった」と説明した。加えて、3月末で同高の副校長も退任することを発表した。

 阪口監督は出身校である愛知県の強豪校・東邦高校で38年間指導を行い、2005年に大垣日大高野球部の監督に就任。初出場となった07年の春のセンバツ大会ではチームを準優勝に導き、その後同高を春・夏合わせて計11回甲子園に出場させた。また、阪口監督は甲子園で昭和、平成、令和の三元号での勝利を達成した史上初の監督となる。

 ことし夏の甲子園(第105回全国高等学校野球選手権)では第1回戦で近江高(滋賀)に勝利。通算勝利数を歴代7位の40の大台に乗せた。

 東邦高時代は厳しい指導から「鬼の阪口」として知られたが、大垣日大高に移ってからは一転して「仏の阪口」と称されるようになったという。阪口監督の57年間を振り返ると、甲子園に春・夏通算35回出場し、優勝1回、準優勝3回の金字塔を打ち立てた。

 多くのプロ野球選手を輩出し、野球界に大きく貢献した名将阪口監督は、監督業を次の世代に渡す。

名将阪口監督が勇退

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