スポーツニュース  2008年10月03日 20:41

■北京五輪本学水泳勢が活躍 輝きは銅以上

 北京五輪が8月24日に閉幕した。本学から参加した競泳の佐藤久佳(文理4=東京・付属豊山高)が男子四百メートルメドレーリレーで2大会連続の銅メダルに貢献したほか、シンクロナイズドスイミング(シンクロ)のデュエットで鈴木絵美子(2007年経済卒=東京シンクロクラブ、ミキハウス)、原田早穂(06年文理卒=同)組が中国ペアの追撃を退け日本勢として7大会連続メダルを守り抜く活躍を見せた。

 競泳の日本男子(宮下純一、北島康介、藤井拓郎、佐藤)は四百メートルメドレーリレーの予選を米国、豪州に次ぐ3位で通過。混戦となった決勝では2位でスタートした佐藤が追いすがるロシアを抑え、3分31秒18で日本記録を更新し、銅メダルを獲得した。
 シンクロデュエットの鈴木、原田組は、テクニカルルーティン(TR)を終えた時点でライバル中国の蒋文文・蒋婷婷組にわずか0・166点リード。フリールーティン(FR)予選を3位で通過した2人は、FR決勝でこん身の演技を見せ、中国を抑えて銅メダルを死守。日本シンクロは7大会連続のメダル獲得となった。


【競泳・男子四百メートルメドレーリレー】 
〈佐藤 久佳〉

丸坊主で心機一転
 
男子四百メートルメドレーリレー予選の翌日、佐藤は丸刈りでプールサイドに現れた。前日にエース北島から「48秒5以内で泳いで帰ってこなかったら坊主な」と言われ、約束を果たせなかったからだ。
 佐藤にとって初の五輪は、不本意な戦いが続いていた。初戦の四百メートルリレーは日本新記録を出したが予選落ち。この時点では「少しずつだが世界に近づいている」と前向きだったが、2日後の百メートル自由形でまさかの予選敗退。記録も自身が持つ日本記録に届かなかった。「泳ぎは悪くないのに…」。体力的にも問題がないにもかかわらず、トップと1秒以上も差がついたことに愕然(がくぜん)とした。うつむきがちの佐藤を北島が「おれたちはこのメドレーのために練習してきたんじゃないのか」と、しかった。「このチームなら世界と戦える」。四百メートルメドレーリレー予選後に丸刈りにしたことで沈んでいた気持ちを切り替えることができた。
 決勝は、第1泳者の宮下が4位で北島に引き継ぐと、日本はエースの泳ぎで一気にトップに躍り出た。第3泳者の藤井は“新怪物”フェルプス(米国)に食らいつく力泳で2位で帰ってきた。佐藤は、フライングぎりぎりで飛び出した。スタート直後に豪州に抜かれ、あとは追いすがるロシアとの一騎打ち。無我夢中で残り25メートルを泳ぎ、ロシアの猛追をかわした。3分31秒18の日本新記録で2大会連続の銅メダルをもぎ取った。
 プールサイドに上がった佐藤の首に北島が手を回わし、佐藤の頭を「こいつめ」と言うようにコツンとたたいた。佐藤の両眼にはたちまち涙があふれる。初の五輪、しかも最終種目のアンカーという大役で結果を残せた。直後のインタビューでは、万感を込めて「最後の最後で納得できるレースができた」と答えた。


【シンクロ・デュエット】
〈原田 早穂・鈴木絵美子〉

「7大会連続メダル」

 青々と光る水面(みなも)に、派手なオレンジ色の水着に身を包んだ鈴木と原田の安堵(あんど)の表情が映えた。日本勢として“7大会連続メダル獲得”の重責をこん身の演技で果たした。
 シンクロが五輪の正式種目となったのは1984年のロサンゼルス大会。以来、日本は6大会連続でメダルを獲得、“お家芸”とまで言われるようになった。
 連続メダルの行方に黄信号が灯ったのは、今年4月の五輪最終予選だった。デュエットで鈴木、原田組は2位となったが、絶対的な優勝候補のロシアは参加しておらず、オープン参加の中国の点数が日本を上回った。これは、日本がメダル圏外に転落したことを意味する。
 これを受け、1月から練習してきたデュエットTRの演技を一新した。従来の重量感ある演技ではなく、元気で爽快(そうかい)感のある「ひばり」に沿った演技に変更した。鈴木は「メダルは使命。不安は日本に置いていこう」と胸を張って北京へ飛び立った。
 初戦のTRは3位だったが、地元開催で勢いに乗る中国も小差で4位に付けていた。FRでは守りに入らないよう、攻めの気持ちを押し出した。演技開始と同時に高いリフトを繰り出した。「とにかくどの国よりも高く飛ばしてやろうと思った」と原田。ミスのない演技に加え、長時間もぐったままの早い足技など見せ場も随所に盛り込んだ。水面から足をぴんと伸ばすのではなく、ひざを少しだけ曲げて角度をつけた。その微妙な角度を合わせることで、繊細かつ難度の高い技を成功させた。技術点では、5人中4人の審判が9・8点という高い評価を示した。演技が終わると地元中国の観衆からも惜しみない拍手が送られた。
 鈴木、原田の重圧も大きかったが、中国にも開催国としてのプレッシャーがあった。原田は「中国人も日本人も、髪の色や肌の色は一緒。全部日本人だと思って演技したらそんなに緊張しなかった」とはにかんだ。追い詰められた2人が土壇場で示した精神力の強さだった。

トラックバック・著作権・リンクについて
トラックバックURL

この記事のトラックバックURL:

このサイト内における全ての文章・画像・図表等の著作権は日本大学新聞社に帰属します
Copyright (C) NIHON UNIV. PRESS All Rights Reserved.